![]() |
天正14年(1586年)、先に耳川の戦いで敗れ衰退した大友氏を下すべく、薩摩の島津氏が豊後府内に迫る快進撃を見せていた中、岡城のみは志賀親次の指揮のもと再三にわたり島津軍を撃退し、親次はその功績から豊臣秀吉より天正15年正月3日付けの褒状を受けている[注]。
豊臣秀吉の時代の文禄2年(1593年)文禄の役で大友吉統が秀吉から鳳山撤退を責められ所領を没収されると、大友氏重臣の親次も岡城を去ることとなった。翌、文禄3年(1594年)播磨国三木から中川秀成が移封され、入城後に3年がかりで大規模な修築を施した。
[注]加藤清正没後の調定のため熊本へ行く際に訪問した藤堂高虎の助言によるまたは、加藤清正の助言による(慶長18年(1613年))、とされる。(Wikipedia)
![]() | |
- 関連記事
最終更新日 : 2020-03-30

